執筆者:弁護士 森進吾
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中国の労務実務上、労働者が手取り給与額を上げるために、自発的に社会保険への加入を放棄するケースが存在します。このように、労働者が自発的に社会保険への加入を放棄した場合において、その後、当該労働者がこのような会社の取扱いが法令違反であるとして、労働契約の解除を主張し、かつ、会社に対して経済的補償金の支払いを請求することが容認されるかという点が問題となります。
この論点に関して、従前、各地の人民法院の裁判基準は統一されていなかったものの、2025年8月1日、最高人民法院は「最高人民法院の労働争議事件の審理における法律適用問題に関する解釈(二)」(以下「解釈二」とする)を公布し、この問題に関する判断基準を統一しました。「解釈二」の第十九条に基づき、雇用主と労働者との間で社会保険の納付を免除する合意がなされたり、労働者からそのような承諾がなされたりした場合においても、人民法院はこのような合意等を無効と認定すること、かつ、労働者が会社に対して経済的補償金を請求できることが明確になりました。
最高人民法院は、この論点に関連する裁判例を公表していることから、本ニュースレターでは、この裁判例についてご説明します。
【裁判例】
2022年7月、A氏はB社に入社した。A氏とB社の協議によって、B社がA氏の社会保険を納付せず、関連費用を手当として直接A氏に支給することに合意し、その後、この合意に従い、B社はA氏の社会保険を納付しませんでした。
その後、A氏は、社会保険を納付しないという合意がB社が事前に作成したフォーマット条項に基づくものであり、自身の法的権利を剥奪し、現行法令に反するため法的効力を有しないと主張したうえで、これを理由に労働契約を解除し、B社に対し労働契約解除による経済的補償金などの支払いを求める労働仲裁を提起しました。
労働人事争議仲裁委員会は、A氏の労働契約解除による経済的補償金支払い請求を支持しませんでした。A氏はこの裁定を不服として、人民法院に訴訟を提起しました。
【裁判結果】
一審判決:訴訟請求を棄却し、原告(A氏)の請求を認めない。
二審判決:一審人民法院の本件に対する処理は不当であり、法に基づいて判決を改定する。被告(B社)は原告に対し経済的補償金を支払うことを命ずる。
【人民法院の観点】
一審:
人民法院は、A氏自らの意向に基づき、A氏が自発的に社会保険の加入を放棄し、その代わりに社会保険に相当する手当の支給を受けていた事実を認定した。A氏は、この点を争ったものの、B社から詐欺または強迫などを受けた事実を立証できないとして、社会保険の放棄はA氏自らの真意に基づくものと認定した。また、B社は、A氏に対する社会保険の納付義務を履行しなかったものの、その行為には主観的な悪意はなく、過度に責任を問えない。よって、労働関係の解除に基づく経済的補償金の支払いを求めた請求は、支持しない。
二審:
A氏は、B社が社会保険を納付せず、かつ時間外手当を支払わなかったことを理由として、労働契約を解除したと主張する。しかしながら、A氏はB社による時間外手当の未払いを証明する十分な証拠を提出できなかった。一方、A氏の在職中において、B社が確かにA氏の社会保険を納付していなかった事実は認められる。
B社は、A氏が自ら社会保険の納付を放棄したため、経済的補償金を支払う必要はないと主張するものの、社会保険を法に基づいて納付することは、雇用主と労働者の双方の法的義務であり、法律上の例外を除き、同意によってその義務が免除されるものではない。したがって、A氏が本件の社会保険の未納付を理由として労働契約を解除し、かつ、経済的補償金を請求する主張は認められる。
【若干のコメント】
最高人民法院は、労働者に法に基づき社会保険を納付することが雇用主の法的義務であり、この義務は強行的なものであることを明確に指摘しています。本件では、A氏が自発的に社会保険の納付を放棄したとしても、人民法院は、当該合意は最初から無効であるとしたうえで、雇用主が法的義務を履行しないことは、根本的な契約違反を構成し、労働者がこれに基づいて労働契約を解除した場合、雇用主が経済的補償金を支払うべきものと判断しています。
このような考え方は、「解釈二」によって確立されたといえ、労働者が社会保険放棄の文書に署名したかどうか、または会社が社会保険に代わる手当を支給したかどうかを問わず、社会保険料の納付に関する会社の法的な納付義務は免れません。したがって、会社には以下の対応を実施することが望ましいです。
1. 全従業員に対する社会保険の加入確認
法令に基づき、速やかに全従業員の社会保険加入状況を確認し、未加入・未納付の有無を精査すること。特に、「社会保険加入を希望しない」などの書面に署名した従業員がいる場合は重点的に確認し、必要に応じて企業内部規定の見直しも併せて行うこと。
2. 管理とコンプライアンスのプロセス再構築
社会保険の納付プロセスおよび規範文書の審査・承認手続きを全体的に見直し、適宜、管理業務を更新すること。
<参考資料>
1.【最高法発布労働争議典型案例】
2.【二審案号:(2024)京02民終3111号】
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