執筆者:弁護士・弁理士 田中雅敏
2026年5月25日、「事業性融資の推進等に関する法律」の施行に伴い、日本の融資実務に劇的な変化が訪れます。その中核となるのが、企業の有形資産ではなく「事業そのものの価値」を担保とする「企業価値担保権」の創設です。本コラムでは、これからの経営戦略に不可欠となる本制度のポイントを、利用者である企業の視点から分かりやすく解説します。
1.制度創設の趣旨:なぜ「企業価値」を担保にするのか
これまで、日本の融資慣行は不動産担保や経営者保証に過度に依存してきました。しかし、無形資産が価値を生む現代において、土地や建物を持たないスタートアップや、個人保証の負担を嫌う後継者が資金調達に窮するという「金融のミスマッチ」が深刻化しています。
本制度の狙いは、この構造的課題を打破し、企業の「過去の蓄積(資産)」ではなく「将来の可能性(キャッシュフロー)」に資金が流れる仕組みを作ることです。会社全体の財産(総財産)を一体として担保に取ることで、ブランド、技術、ノウハウ、顧客基盤といった、帳簿に現れない「企業の収益力」そのものを評価の対象にすることが可能になります。
2.従来の課題と本制度が提供するソリューション
これまでの融資制度が抱えていた3つの大きな課題に対し、新制度は以下の解決策(ソリューション)を提示しています。
① 「担保にするものがない」という壁の突破
スタートアップ企業や、IT、サービス業、創薬バイオなど、不動産を持たない企業は十分な融資を受けにくいのが現実でした。
これらの企業についても、「将来取得する財産」や「のれん」を含む総財産(事業性)を担保化できるため、事業計画の妥当性さえあれば、成長資金をデット(融資)で調達しやすくなります。
② 「経営者保証」という呪縛からの解放による後継者への事業承継の円滑化
事業承継の際、先代の多額の債務を個人保証することがネックとなり、承継を断念するケースが後を絶ちません。
この点についても、企業価値担保権を設定する場合、原則として経営者保証の利用が制限されます。これにより、後継者は個人のリスクを最小限に抑えつつ、前向きな投資に取り組めるようになります。
③ 窮境時における「事業の切り売り」の防止
経営が悪化すると、個別の担保権者が資産を差し押さえ、事業がバラバラに解体されるリスクがありました。
本制度のもとでは、実行時には管財人の監督下で「事業を一体として」譲渡することが原則となります。この結果、雇用の維持や技術の散逸を防ぎ、価値を最大化した状態でリスタートを切ることが可能です。
3.具体的な活用イメージ:自社のフェーズに合わせた利用法
本制度は、企業のライフサイクルに応じて多様な使い方が想定されています。
- スタートアップ(成長局面):
VC(ベンチャーキャピタル)からの出資と協調し、将来の売上見込みを担保に数億円規模の融資を受ける。ワラント(新株予約権)付き融資と組み合わせることで、創業者利益の希薄化を抑えた資金調達が可能です。
- 事業承継(承継局面):
親族外承継や従業員承継の際、新経営者が個人保証を負わずに既存融資をリファイナンスする。これにより、組織改革や新規事業への挑戦を促します。
- 事業再生(再生局面):
抜本的な再生計画の下、新しい事業計画に基づいた運転資金(DIPファイナンス)の提供を受ける。過去の失敗ではなく「これからの収益力」が評価の軸となります。
4.利用者(企業)側が特に注意すべき3つのポイント
自由度の高い制度ですが、利用にあたっては法的な規律と責任が伴います。
① 「通常の事業活動の範囲外」の行為には同意が必要
担保権設定後も日々の商売は自由に行えますが、重要な資産の売却や事業譲渡、不自然に安価な商品の供給など、事業の価値を損なう行為を行うには、事前に金融機関の同意が必要です。無断で行うと契約違反(期限の利益喪失)となるため、事前の目線合わせが不可欠です。
② 透明性の高い情報開示とモニタリング
「将来性」を担保にする以上、金融機関は常に事業の進捗を注視します。
そこで、精緻な事業計画の策定、試算表やKPI(重要業績評価指標)の迅速な報告、決済口座の「見える化」を通じた資金繰りの共有など、これまで以上に密度の高いコミュニケーションが求められます。
③ メインバンクへの取引集約
総財産を一体で担保に入れる性質上、他行が後から担保を取ることは難しくなります。結果として、担保権を設定した銀行への取引集約(メインバンク化)が進みやすくなります。複数行との取引を維持したい場合は、シンジケートローンの活用などを検討する必要があります。
5.金融機関の視点:あなたの会社はどう評価されるか
金融機関側も「目利き力」の向上が求められていますが、彼らが何を重視するかを知っておくことも大切です。
① キャッシュフロー創出能力:赤字であっても、融資時に合意した計画の範囲内で推移していれば「正常先」と判定される柔軟な引当実務が期待されています。
② 伴走支援の姿勢:金融機関は、業況悪化の予兆を早期に察知し、経営改善を支援する「伴走型金融」を法的に義務付けられています。
③ セキュリティ・トラストの活用:登記費用は一律3万円と安価ですが、信託スキームを利用するため、別途信託報酬が発生する場合がある点には留意が必要です。
結びに代えて:2026年に向けた準備
「企業価値担保制度」は、単なる新しいローン商品ではなく、経営の透明性と将来性を武器に資金を調達する、新しい経営のあり方への招待状です。
まずは、自社の「事業価値の源泉」がどこにあるのかを言語化し、説得力のある事業計画書を作成することから始めてみてはいかがでしょうか。
なお、こうした新制度に対応した契約書の作成や、金融機関との交渉、事業計画の法的なブラッシュアップなどについては、経営法務に対応できる弁護士にご相談されることが推奨されます。
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